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2014年4月

2014年4月30日 (水)

爆音都市

三週間に一度、渋谷にある病院に通っております。いつも携帯電話で音楽をイヤホーンにて聴きながら通っております。あまり大きな音は好きではないし痛いし疲れるし、なにより歩いていて危ないのでボリュームは半分くらいに設定しております。電車のアナウンスが普通に聞こえるくらいです。

渋谷駅に降り立つと、なんたる爆音都市だ。大きなテレビやら自動車やら人々やらでイヤホーンからの音はなにも聞こえなくなり、いつも吃驚します。あのような喧騒の中をまともに歩くことは困難で、いつも自分を殺しまくって歩いております。毎日通っていたならば、確実に聴覚にダメージがいくレベルだと思うのですが、どうでしょうか。なんであんなにやたらめったら音がなりまくっている場所でニコニコできるのか。病院が終わると逃げるよう帰ります。直帰いたします。

イヤホーンで聴くmp3の音なのですが、このようなものなのだ、と思えば普通に聴けると感じています。しかしあの音を基準としてなにかを考えてしまってはいけないとも思います。便利なものは便利。ニールヤングが高音質の携帯プレイヤーを作ったらしいのですが、あまり興味はなくて、多分データでかいでしょ。いい音を持ち歩く必要性をあまり感じない。などあります。ニールヤングの音楽は本当に本当に大好きです!これだけは言える。

アナログの曲線の近似値。どこまでいっても近似値でしかないデジタル。使いようではないでしょうか?ロービットのリズムマシンやサンプラーの音、大好きですし。

2014年4月29日 (火)

基本のき

ゴールデンウイークですね。この時期になる度に思い出すことがあります。生まれて初めて救急搬送されたことです。十年前のことでして、その頃から、眠れない、食べられない、飲めない、好きな煙草も吸えない、が続いていて、更には電車に乗れない、バスに乗れないなどもありまして、何故か我慢をしてしまっていて、やっと病院へかかろうと思い立ち電話するも、ゴールデンウイークなのでという理由から断られまして困りました。その時点で一週間眠っていなくて、食べてもいない状態で、さすがにやばくなって五月の朝119番しました。

その後、医者にかかり、大量の薬を服用し、八年が経過したところで薬が減る様子もなく、血液の値は異常で、それを酒のせいにされ、おかしいと感じて転院しました。新しい病院の先生、前の処方を見て絶句されておりました。その後怒涛の減薬。半年で血液の値は正常となりました。やはり薬のせいであったのか。恨んでおりますよ。病名もかわりましたし。

減薬開始から二年あまり、現実がだんだんとフェードインしてくる感覚がありまして、ヒリヒリと痛いのですが、こちらの方がよいと思います。薬を沢山飲んでいた頃は、現在よりも動けてはいたのだけれども、自分の周りに幾重にもカーテンがかかったような毎日で、全部嘘みたいだなと感じておりました。今の方がいい!大分見た目の印象も変わったのでは?と勝手に思っています。

朝、決まった時間に起きること。これを基本のき、としようと約束した、今日。

2014年4月28日 (月)

小旅行

先日、群馬県の前橋まで行ってきました。片道三時間。お腹が空いていて、駅に着くなり立ち食い蕎麦店へ。かき揚げそばをいただく。美味しかったです。奥歯が欠けていることに気がつき吐き出す。僕の奥歯の一部分は前橋にあります。

何故前橋かというと、詩人の三角みづ紀さんの個展をみにいったのです。しかし前橋。劣化具合がすごい。ぐちゃぐちゃに散らかった元アジアン雑貨屋やらガラスの割られた元居酒屋やら昼間からエコー全開のカラオケスナックやら立ち小便やらで、そのようなものばかりやたら目についてしまいました。

個展へ。珈琲をご馳走になりながらお話を沢山できてとてもよかったです。引力みたいなものを感じました。僕も詩を書いておりまして、どのようにやっていったらよいのやら路頭に迷っておりましたので、ひじょうに助かりました。

三時間。帰宅。飲酒。睡眠。

自分がやっていることに自分でびっくりしたいという願望というのがありまして、そのびっくりの積み重ねが次へと繋がっていくのかなあと思ったり。

2014年4月26日 (土)

将来の夢

塩化ビニルの円盤に溝を刻んだものを針でこすると素晴らしい音がする。何故なのだろう?

小学生まで、将来の夢は?と聞かれると、漫画家!と答えてました。絵を描くのが大好きで、漫画も描いてました。ノートにひっそりと。コロコロコミックにパーマンが連載されていて、とても面白くてボロボロになるまで読みました。ジャンプでは北斗の拳、男塾、そのうちにドラゴンボール、キン肉マンなど読んでおりました。ジャンプに飽きた頃サンデーへ。YAIBA、らんま、タルルートもそうだったけかなど。漫画を描かなくなった中学生にはスピリッツへ。ジパング少年、YAWARA、鉄コン筋クリート、などなど。色々わすれているので間違いがあったらごめんなさい。Fも好きだったな。

藤子不二雄の漫画入門みたいな本を読んで、丸ペンを買いに行き、ガリガリやっておりました。当時はなんか楽しい、くらいでしたかね。アニメージュに連載されていた風の谷のナウシカや、ヤングマガジンのAKIRAも読んでました。今思い出した。確か小学生のときは漫画クラブにはいってましたね。高校生でガロを立ち読みし、色々破壊されましたがね。

でも、今考えると、絵が描きたいばかりで、ストーリーなどろくなものではなく、向いてなかったのかもしれないと思います。手塚治虫が確立したとされるストーリー漫画では、話のスジがちゃんとしていないとろくなものにならない。破壊されましたけどね。ガロに。

好きな音楽をかけながらウノをやるという素晴らしい吹奏楽部に在籍していた中学生の僕は、自分なりにテナーサックスを練習、教室にあったガットギターを弾いてみるなどしていました。ダムドのニューローズとかやってました。あのボワんとした感じはなんなのだろう。十代半ばから二十代ちょっとくらいまであったボワんとした感じはなんなのだろう。

たまに思い出してはその頃におりていけないかと試みてみたり。

2014年4月25日 (金)

スケープゴート

誰もが捌け口を探している。どこかで自分以外のもののせいにしたいのだ。と、書くととても大きな話しになってしまうので、身近な話題をしたいと考えます。

バンド。複数人集まって音楽を演奏するもの。いやぁ長年続いているバンドというのはなんというか懐が深いと思いますよ。人が複数いるとどこかで必ず齟齬みたいなものから始まって軋轢が生まれるものです。それを飲み込んだり吐き出したりしながらなんとかかんとかやっていくわけですが、スケープゴートというものは生まれがちで、自分が標的になったり、攻撃してしまったり、という経験がありまして、仕方が無いと言ってしまうとこの話しは終わってしまうのですが、もう少し。複数人で一つのことをするということは各個人がイデアみたいなものをもっていて、それを摺り合わせいくという作業であると思うのですが、標的になりがちの人は其れが見えない、又は見えづらいことが多いように思います。下手すると人格否定にまで繋がりかねないことなので、因果な形態だと思います。バンド。バンド大好きですけどね。大好きなんですけれどもやるからにはしっかりとやりたい。複数人いればそれだけ視点なり考え方が増えるわけで、上手く作用すれば凄いことになる。自分一人では到達できないところへと行けるかもしれない。でも齟齬、軋轢。その人のパーソナルと出される音は切り離し難くあって、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という事態に陥りがちである。だから先程も書きましたように長く続いているバンドは凄いなあと。人柄としか言いようがないと思います。あと、全くべつの場合として独裁状態というのもあり得ると思います。独裁者以外は言うことを聞いていればよい。

世の中のことなどをどこかで対岸の火事みたいに思っていると、危ないなあ、易きに流れる、流されてしまうなあ。抗いたいです。

2014年4月24日 (木)

むくむんです

浮腫みとは無縁の人生を送ってきたのだけれども、近頃どうにもむくむんです。腎臓あたりがやばいのかな。かかりつけのお医者さんに相談してみよう。そうしよう。

飲酒しながらスピッツを聴きました。スーベニアというアルバムがとても好きでして、繰り返し聴いております。好きに理由などないと言ってしまいたいのですが、こちらも音楽をやっているので、どうしても分析的に聴いてしまう。様々の技術が、適材適所といいますかいい塩梅に使われていると思います。あと、歌の力が強い。

ああ。体調不良はつづくよ。このまま死ぬのは嫌なので、積極的に療養いたします。

2014年4月23日 (水)

残響音

やる場所にもよるのですが、自分は基本的にリバーブを使わないでやっていただいております。あくまでも特殊効果と捉えていて、必要がなければいりません。アコースティックギターとうたという形式でやるうえで、心掛けねばならないのが、ライブの場合、その場所の響きでありまして、手を叩く、声を出すなどして確認しております。で、特殊効果が必要なければ無しでいっております。所謂デッド、響きがない場所もありまして、印象に強く残っているのが秋葉原GOODMAN。当時はベースボーカルをやっておりまして、主義としてドラムは生音を聴きたいとやっていたのですが、デッド、まったく聴こえない。そんな場所もあるのだなと思いましたよ。当時のブッキングをされていた吉田さんには大変にお世話になり、ろくに宣伝活動をしてないからと、チラシまでつくっていただきありがたかったです。対バンも素晴らしく、タコボンズ、ネハンベース、リーゼントスリム、ヨシュアカムバックなど、楽しかったです。

アコースティック主体のライブを演奏する場所で、デッドに設定してあるところもあるわけで、それは何故なのかと疑問に思うこともあります。自然の空間の響きが面白いのであって、それを殺すとはなにごとかと。

録音に行き詰まり、本屋さんにて其れに関する本を立ち読みするも、やれリバーブだテンポディレイだので、逆にJPOPの仕組みみたいなものがわかったのですが、そのようなことをやっているからつまらなくなってしまうのではとも思いました。

あくまでも特殊効果。その場所での響きを確認して、必要ならば導入してもらう。そのように考えております。

5月13日高円寺Reefにてライブ。

2014年4月21日 (月)

明日はごみの日

5月13日に高円寺Reefにてライブします。

宣伝活動としてこれを書いています。面白がっていただけたらなあと思っていますよ。

歌詞というものにフォーカスしていきますと、その人はどれだけ本当なのだろうという気持ちになることがあります。自分自身、感情をどれだけ言い当てられているのかをとても気にしています。正直、書いている最中はメロディも同時に鳴っている場合も多くて、よくわからないのですが、テキストだけ抜き出してみるとアラみたいなものが沢山あって、修正していきます。正確、とはまた違っていて、当たっているという感覚にたよってやっております。言葉でもってやっているので、言葉にならない、は禁句で、引っ張り出してくるしかないのかなあと思います。

以前、歌詞が先ですか曲が先ですか?と尋ねられたのですが、それは両方あるし同時にできることもあると答えました。自分にはストックというものがきかなくて、その場でどうにかしないとなんだか劣化してしまって、ひどくつまらないものになってしまいがちです。インタビューなどを読んでいると、外で思い付いたから留守電に吹き込む、などありますが、自分の場合外にいることは異常事態で、自動車などにぶつからないようにすることが大事で、なにも出てきません。このような緊張状態を少しでも緩和できたならば、外出も楽しくなるだろうにと思います。近所の買物だけで疲れる。下手すると泣き出す始末で困ったものです。

リラックスしたいなと。でもライブとは人前で歌をうたうという異常事態で、リラックスなどとは程遠い状態ですので、どうしたものかと考えますが、俯瞰。俯瞰かなと思います。異常事態、緊張状態は当たり前でそこでなにができるのか。やれることをやれるだけやる。

ギター奏法について。トゥルルという感じの弾き方をしている人がありまして、よし真似してやろうと練習しております。ペチペチペチといまのところなっておりますが、多分そのうちできる。できるはずだ。

体調が悪くて呪詛を撒き散らしたくなるときにも、ギターは受け止めてくれる。

2014年4月20日 (日)

新しいこと

以前からぽつりぽつりとやっていたことではあるのですが、打ち込み主体の音源を発表していこうと思います。QY70、MC-303、DS-10など家にあるものを駆使して、あとはGarageBandも使ってやっていきます。踊れないものになりがちなのですが、べつに踊らせようなどとは考えてないのでよし。ヘッドホンでコッソリ聴くような密室みたいなものになっていくだろうな、そういうの好きだし。

機械が好きな割りに、いじるのが下手くそで翻弄されてばかりなので時間がかかるのですが、自分が思ういいものを。

関係ないですけれども、BIG BLACKのライブ盤聴くと、ドラムは打ち込みなのにカウントしてますよね。あれ格好いいよなあ。ラモーンズもカウントが格好いいよなあ。

アンビエントやエレクトロニカのレコードは増えていくけれども、パンクは減少していく我が家です。ドローンも気持ちよくていいなあ。自分のギター弾き語りに確実に影響を与えている。なにがどうなってそうなっているのかわからないけど。でもそこらへんを考えていかないとなと思っています。

2014年4月19日 (土)

諦念プシガンガ

タイトルは好きな曲名。自分には諦念などなく、悔いてばかりで、何処かで期待ばかりしているのだ。

下北沢ラグーナ、よい場所でした。スピーカーはもっとよいものを導入したほうがいいと思います、でも。カレーに醤油を加えるかソースを加えるか、という話がとても印象的で、変態も普通も正常も異常も、ある視点から発生するものであって、視点を変えればまるっきり違うものだと思ったのです。みんなギター上手だったなあ。練習しよう。

ライブにおいては、なにかわからないけれどもすごい。というのが成立すると思うのです。言語化できないなにか。自分が好きだなと思うひとはそのような要素がすごくあって、少しでもそこに近づけたらと思うのですが、どうしたらよいのかわからない。思考は日本語に侵されて、犯されていて、言語化しないとついてこないというもどかしさがあり。イメージというあるのだけれども頼りないものに頼るしかないのかなあ。

内容が明るいとか暗いとかは表層であって、そこにはそもそも興味が無くて、全体から立ち現れる何かに興味があるのだなと考えてしまう下北沢でした。酔っ払っていてわけがわかりません。我一介の肉塊也。

2014年4月17日 (木)

枯渇。なにそれ。

5月13日に高円寺Reefにてライブします。詳細がわかりしだいお知らせ致しますので、よかったらみにきてください。

身を削って云々というのがありますが、自分にはそれは当てはまらず、寧ろ増えていく気がします。出せば出すだけ増えていく。増えないまでも入ってくる。森羅万象を大きな海に例えるならば、人間一人一人はその海水を手で囲っただけのもの、というイメージ。なので、囲った中の海水は常に入れ替わっている、というイメージ。と、反発するように確固たる自分が、固体の、あるはず!とも思っています。何れにせよ出す、排泄するというのはとても大切で、どんどん出していこうと。気、血、水、どれも滞り気味なのでなんとかしたいです。いまも体調不良でベットに横になりながら書いてます。悪いもの全部出て行け。服薬、酒、煙草。毒も必要。でも身体がちゃんと処理してくれないと出て行かないので、健康は大切だな。

青竹踏み。凶暴な突起付き。毎日毎日悶絶しながら乗っている。いま一番やっている健康法といえばそれだけで、他にもやりたいことがあるのだけれども、やらなければならない、を増やすと精神的重みで何もできなくなるので、できることをできるだけ。面倒臭いことは面倒臭いとちゃんと言うこと。

ADHD、双極性障害。面倒臭い。以前は当たり前にできていたことができなくなる。でも、そのことによって新たな視点を獲得したとも言える。自分の当たり前は他の人の当たり前ではない。定規はたくさん持っていた方がいいように思います。

できること、できないこと

できること、できないこと。ライブにおいてできることは提示すること。できないことはお客さんなどをコントロールすること。そこを大前提にしてやっております。

もっと言えば自分すらも精密にコントロールすることは不可能で、一回性という言葉に依存してしまう体たらくで、でもロボットではないので毎回同じにはできないわけで悩みます。

録音となると話は別で、どの瞬間をパッケージングするかで、宅録なもので第三者の指示などもないので悩みます。

俯瞰で自分を見る、ということが必要なのかもしれません。ビョークが方位磁針を刺青しているように、自分も羅針盤かなにかを入れたいなと考えてしまいます。何処かで拠り所を求めていて、どうしようもなく所属してしまっているあれらこれやを無視するが如く、寄り掛かるところを探してしまっている弱さよ。

己で掴むのしかないのだけれども。

2014年4月16日 (水)

嘘をついているようだ

パソコンで録音作業をしていると、いくらでも編集できてしまうことに気が付きます。なので、そのようなパズル状態のものを発表してしまったこともあります。でも聴いている人にはわからないように細工するのだけれども、やった側としては其れがすべてわかるわけで、なんだか嘘をついているようだ、嘘をやっているようだ、という気持ちになりとても嫌だ。

なので録音は基本的に始めから終わりまで一気に録る。失敗したならば最初からやりなおし。ということになりました。面倒臭いけれどもそのほうが、やった、という感じになる。できもよいような気がする。

編集を駆使するならば、編集でしかできないことをやります。ループを組んだりだとかそういうの。なかなかやる機会がないのだけれどもやりたいと思っています。

久しぶりにCDを買いました。でも聴けないのでパソコンから携帯、そしてミキサーからスピーカーへ。アクトレス、という人です。あたたかくて太くて丸い音。初期のエイフェックスツインを思い出しました。とてもよいです。

大前提をすっとばして展開する悪癖がありますので、そこらへんは補完して読んでいただけると嬉しいです。論理に綻びのない文章を心掛けておるのですが、なかなか難しいですね。Twitterなどをみていても、明らかに誤読されてしまっていて大変だなあと感じることもあったり。140字の制限はかなりきついと思います。さらに進めると、どんなに論理的且つ緻密に書かれたものでも誤読は避けられないとも言えると思います。これは表現も同じことで、自分がどう考えていようとも受け手にそのまんま伝わることは少ない。

自分は私語厳禁のラーメン屋などではないので、好きなように受けとってもらえればと思います。但し、演奏中のおしゃべりは非常に気になります。全部聞こえてますしね。

2014年4月14日 (月)

形式と内容

自分は、歌とアコースティックギターでもって活動をしています。何故その形式を選んだのかといえば、かっこいいと思ったから、自分の声にあっていると思ったから、独りでできるから、拡がる可能性を感じたから。理由としては弱いですかね。もっと考えないといけないし、何より重要なのは内容であって。頑張ります。

ライブハウスでは毎日ライブが行われていて、大抵ギター、ベース、ドラム、うた、あとはキーボードの編成がほとんどで、その形式を当たり前として行われていて、もはや様式美とも言えない形骸。ギター弾き語りも同じなのですけれども。

でも自分が、何故その形式を選んだのか考えるのはとても大切だと思うのですよね。なんとなくでやっているものは大抵つまらない。そして今の自分にはバンド編成は必要ない。形式と内容は両輪で、どちらがまずくても成立しない気がします。

詩の雑誌を読んでいて感じるのは、そこらへんがめちゃくちゃであるということ。一昔前の前衛の形式を持ってきて内容がからっぽだったりするものが評価されていたりして、がっかりします。音楽の世界にもアバンギャルドというジャンルがあって、ジャンルになっているくらいだから形骸化しているわけで、そこらへんのことは、やっている人は自覚的で、よりすごいものを表現しようとしていて、詩の世界よりかは健全なのかなあと思います。興味のある方は新宿のタワーレコード10階の奥の方にコーナーがあるので、試聴してみると楽しいかと思います。入口としてはとてもよいと感じます。

感情やら情熱やらがあるのは大前提で、それをどこに落とし込むのかを、もっと突き詰めて考えていきたいと思います。

2014年4月13日 (日)

やたらとねむい

起き抜けにこれを書いております。何度目の目覚めなのでしょうか。直前にみていた夢は、大災害が起きて、数年経てなおそれがトラウマとなってしまい、病院の先生に泣きながら訴えるも、とりあってもらえず、場面は飛び、何故か明らかに詐欺である訪問販売に加担している。しかも弱った人々の隙に付け込む手口。というものでした。僕は東京に住んでいて、あの時かなり揺れたから、すかさずテレビをつけると津波の映像が流れていて、ひっきりなしに余震があって、災害時には水の出るうちに水を貯めておけということで浴槽に水を張るも、ここらへんは大丈夫そうということで、その水を沸かして入浴したこと。トイレットペーパーがどこにも売ってないこと。

今日は覚醒しているときにギターを練習できました。マメができました。ハンマリングオン!プリングオフ!

誰でも傷はあって、巧みに隠していると思う。自分の場合は幼少期から中学生くらいまでだと思うけれども自分で自分に隠していた。でも最近はそれを思い出す作業をしている。とても嫌なのだけれども、自分の素地みたいなものがそこにあるような。昔はよかったとか絶対に思わないですね。戻りたいなんて微塵も思わない。図画工作が好きでした。しかし、先生に手を加えられることの多いこと多いこと。一度、粘土でひとの頭部を作りまして、できがよかったらしくなんらかの賞をもらったのです。で、嬉しくて展示を見に行ったら、手が加えられておりまして血の気が引くほどの怒りをおぼえまして、粉々に破壊しました。そんな記憶。

くらいくらいと言われますが、そのような大雑把な表現をされても困りますので、明暗のグラデーションであるとか色彩であるとか、片岡フグリ君が呟いていたように温度であるとかで、考えていきたいと思う所存であります。

かぜをひいたようで

声がガラガラです。なので歌の練習は無し。

で、ギター。途方にくれているギター。
何か参考にしようとインターネットでマークリボーから向井秀徳までみてみる。ああ、すごいなあ。ギターもすごいし、こういうものが無料でもって見られるのは。今は大抵のものは無料にて見られるし聴けてしまう。無断でのせてしまっているのも多いと思われる。おかしい。何でもかんでも無料になってしまったら、その演奏、録音でもって生活をしている人々が食べていかれない。自分が素晴らしいと思ったものには対価を払おう。そうしよう。あらためて考えた、今日。

2014年4月12日 (土)

砂上の楼閣

いまのギターを手に入れてからもうすぐ2年になろうとしている。とてもいい音がすると思う。しかし自分の拙さで、その魅力、威力、が発揮できなくて申し訳なく思っております。練習します。稽古します。

必然性。言葉でもギターの練習でもライブでも、なんとなく、を積み重ねて構成されているものはよくないと考えます。一客として、なんとなくよかった、という感想を持つのは良いと思います。が、やる側がなんとなくで構成されたものを発表するのはあまりよくない気がします。あくまでも個人の意見です。ここらへんはやる人によって違うはず。自分の場合はまるで砂上の楼閣みたいなものを、見せたくはない。完璧主義とは違います。必然性。あくまでも。できているのかいないのかいつも何処かで疑いながら、伸びない身長を伸ばそうと背伸び体操をするが如く、精進。

完璧主義。完璧なんてものはまあありえないですよね。絵を描きはじめたらいつかは完成となって終わるわけですが、これで本当に完成なのか?という疑念は拭えないはずです。やれやれだなあ。また妥協かなあ。と、苦笑いすらでてこない。絵に例えましたけど色々なものに当てはまるのではないかと思います。でもたまに、するっとできてしまって、よしっ、てなることもある気がするけれども、そんなことは滅多にない。まずない。

必然性とはなんとなくをぶちぶち潰していって、途方もない背伸びを繰り返して、快楽を感じたり疑ったりしながら、掴み取ったと思ったら、するりと抜けていく何かなのではないかなあと考えております。

そんなもがきをお見せするライブをいたします。メッセージを届けたいなどとは一切合切思いません。ただ、みていただきたい。どう見えるかはあなた方の自由です。

砂上の楼閣というライブイベントをやっておりました、fOULというバンドが僕は大好きで、あの凄さに、あの凄さになりたいと憧れ続けております。再結成してくれないかなあ。

2014年4月11日 (金)

音楽を聴かなくなった

先日の高円寺Reefのライブ、みていただいた方ありがとうございました。おぐまゆきさんという素晴らしい共演者がおりまして、とてもよかったです。

さて、CDプレーヤーが壊れてからというもの、専らレコード、ラジオ、カセットテープ、mp3を聴くという生活を送っていたのですが、それすらしなくなった!冷蔵庫、金魚のブクブク、新聞屋さんのバイクなどを聞いております。但し例外的に妻とお酒を飲む時には、くるり、アジアンカンフージェネレーション、アクサクマブールなどを小さな音でかけております。mp3です。お酒を飲みながらであるとレコードをひっくり返す作業が面倒になり、ラジオは話し声がうるさい。当然テレビなどは論外で、情報過多でやかましいことこのうえない。我が家のテレビは大晦日、大きめな地震、選挙、DVD鑑賞以外にはつけられることはありません。どうやらプロパガンダ色があるようにもきくので、洗脳はされません。

で、くるり。表声と裏声というのでしょうか、そこらへんの境界でもって歌っているものが多くて、うまいなあ、参考になるなあ、それ以前に楽曲がなかなか、などとなっております。なんだ、聴いているではないか。でも前は起きたら寝るまで音楽をかけっぱなしの生活をしていたので、なかなかの落差ですよ。でも今はそれが心地よいのでそれでよし。

次、縦書き横書き問題。詩を書くときは縦、歌詞を書くときは横。と明確に分けておるのですが、どうも縦書きがうまくいかない。構えてしまうというか余分な力が入っているようでうまくない。結果ろくな詩が書けない。昨夜、歌詞を書きまして、横書きで、なんとかなったのですが、今日思い立ってその歌詞の書き出しだけを頼りに、縦書きでやってみたところ、なかなかうまくいきまして、これを今回の現代詩手帖新人欄に応募したいと思います。少しは抜けたかな、という気持ちです。課題はいきなり縦書きでもってきめること。

歌詞はメロディに合わないと、色々な意味で、よくないのでそれはそれで難しく、詩はテキストだけで勝負するとてもハードコアな世界であると思うので果てし無く、私は一体何がしたいのか。

もやもやをノートに落とし込んで、うたってみたり、修正を加えてみたりする毎日です。

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