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2014年4月19日 (土)

諦念プシガンガ

タイトルは好きな曲名。自分には諦念などなく、悔いてばかりで、何処かで期待ばかりしているのだ。

下北沢ラグーナ、よい場所でした。スピーカーはもっとよいものを導入したほうがいいと思います、でも。カレーに醤油を加えるかソースを加えるか、という話がとても印象的で、変態も普通も正常も異常も、ある視点から発生するものであって、視点を変えればまるっきり違うものだと思ったのです。みんなギター上手だったなあ。練習しよう。

ライブにおいては、なにかわからないけれどもすごい。というのが成立すると思うのです。言語化できないなにか。自分が好きだなと思うひとはそのような要素がすごくあって、少しでもそこに近づけたらと思うのですが、どうしたらよいのかわからない。思考は日本語に侵されて、犯されていて、言語化しないとついてこないというもどかしさがあり。イメージというあるのだけれども頼りないものに頼るしかないのかなあ。

内容が明るいとか暗いとかは表層であって、そこにはそもそも興味が無くて、全体から立ち現れる何かに興味があるのだなと考えてしまう下北沢でした。酔っ払っていてわけがわかりません。我一介の肉塊也。

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コメント

やっと辿り着きました・・

やはり竹村さんらしい文章でした・・うふふ

>おぐまゆきさん
みつけていただいて、ありがとうございます!
暇なときにでも読んでやってください。

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